相談室(ブログ)

心の病を治す良薬は今を悟る直観智にある  

2026.02.10

 「第六感は誰にもあります。それは心の感覚で、見る、聴く、感じることがいっぺんにできます」…ヘレン・ケラ

 今とは、私たちの心です。その心に、過去も未来も、病も健康も、自由も不自由も、美も醜も、利も害も、善も悪も、貧も富も、苦も楽もあり、あらゆる環境を包み、智慧に満ち、慈悲の宇宙があります。今とは永遠に存在する私たちの我の流れであり、無量無辺の混沌とした振動であり、調和された周波数の集まりです。今とは森羅三千諸法の智慧の光です。しかし、私たちの意識は、「今」の一部しか感じることができません。なぜなら心は、煩悩で染色され、闇に閉ざされ、不自由になり、智慧の光を享受できないからです。結果、苦は多く、楽は少なくなります。「盲目であることは悲しいことです。けれど目が見えるのに、見ようとしないのは、もっと悲しいことです」(ヘレン・ケラ…「三重苦は世界を照らす」)

 ニコラ・テスラは言います。「今、存在しているすべてのものは、光の無限の形象の表現です。なぜならエネルギーは存在より古いからです。そしてエネルギーによって、すべての生命は織りなされたのです。これまで存在したあらゆる人間は死ぬことはありませんでした。なぜなら、今の私たちのエネルギーは永遠だからです」(交流電気発明者、発明家・詩人)

 今という私たちの我は、生じるのでもなく、滅するのでもなく無始無終です。 波が上下に運動するように永遠の昔から振動を続け、独自の我の周波数を持ち、波動しています。一つの波が海全体を含んでいるように、今の我の振動は、宇宙全体を呼吸するようにつながり流れています。

 今とは、私たちの我のエネルギーの表現です。エネルギーは姿かたちを変えながら永遠を生きます。無量の過去も、無限の未来もすべて今にあります。今の我の苦しみは過去に原因し、未来の楽しさは今をどう生きるかで決まります。生命の因果は俱時であり、苦楽は不二です。それを妙法といいます。因と果は同時に存在し、苦楽は生命の明暗という二つの表現です。

 たとえを借りて表現するなら、私たちがこの世に誕生したときの0,2ミリ程度の精卵細胞という種子(因)に、50㌔を超す身体、顔かたち、思考する能力、性格などの果が同時に存在しています。これに対して、物理の現象世界の因果は異時です。因果異時は、時間の流れがあって結果が出るとする考え方です。因果俱時の不思議な一法を諸法実相とブッダは悟りました。その宇宙の真理の法は、今も私たちの我の中に流れ続けています。なぜならブッダの悟る以前から、真理の法は存在し、永遠に今を生き続けるからです。 

 今を集中して生きるというマインドフルネスが流行している

 マインドフルネスの影響もあって、今を集中して生きるという言葉が流行っています。心理学、健康学、企業研修や教育の世界でもマインドフルネスは盛んです。テーマは「今を、評価せず、目的に向かって、集中して生きる」ということです。実践することで、以前より集中力が増したという声はよく耳にします。ポイントは、「今を評価しない」ということです。

 これはとても難しいことです。なぜなら私たちは過去の記憶で生きているからです。その記憶は雑念となり、雲のように意識に立ち現われ、自動的に心の流れを支配し、今の生を支えています。また、今の意識は五感覚で受ける多数の情報にさらされ集中できません。この過去の記憶の流れと五感覚が受ける無量の情報が、「今の評価」の正体です。評価せず、集中するとは、これらの意識活動を一旦とめることになります。それは、修行であり、とても至難なことです。マインドフルネスに、修行による修得が求められるゆえんです。よくよく考えてみると、今とは何かが、誰もわかっていませんし、説明できていません。だから、「今を生きる」ことを理解することが困難になります。マインドフルネスの創始者はカバット・ジン氏です。彼は日本で道元の禅を修学されたと言われています。それを基本にしてマインドフルネスを展開されました。しかし、彼は今を深くは掘り下げてはいません。

 マインドフルネスはカバット・ジン流の禅の新展開

 禅は、不立文字(ふりゅうもんじ)という言葉を金科玉条にし、文字や言葉に頼らず瞑想し、自ら悟りの世界に入るという教えです。つまり、今を過去の言葉で評価せず生きるということです。道元は、もともとブッダの法華経(正確には天台、最澄の法華経)を比叡山で修行しました。しかし、宋に留学し、心身脱落を悟ったことを機に、法華経から離れ独自の禅を展開してゆきます。自分の意識が頼りであり、指標(言葉の評価、記憶)に頼らない瞑想を中心に行いました。今の自分が迷いと暗闇にある場合、指標のない瞑想を行うと迷いを抜けることができないばかりか、迷妄は増すばかりとブッダは警告していました。

 ブッダは亡くなる直前に悲嘆にくれる弟子たちに「自ら(自分)と、法を頼りに生きなさい」と語ったそうです。その法はブッダが悟った生命・宇宙の真理であり、法華経で説かれれています。道元は主著「正法眼蔵」という書で彼の思想哲学をまとめていますが、亡くなる直前の日々は法華経の「如来神力品第二十一・にょらいじんりきほん」の一節を読誦し、住まいを「妙法蓮華経庵」と柱に書きつけていたと言われています。道元は最後は、ブッダの根本の法華経を指標にしていたと思われます。カバットジン氏のマインドフルネスは禅を入り口にしていますが、出口は全く異なったものになっていると私は思っています。つまり、独自の禅の展開になっています。

カバット・ジン氏のマインドフルネスは部分と全体のつながりを悟った

 カバット・ジン氏のマインドフルネスの卓越性は意識は全体を感知できない、部分しか感覚・思考できないと見抜いたところにあります。その実践は「ボディスキャン(身体観察瞑想)」に結実されています。ボディスキャンの実践で、部分と全体の違い、さらに今、感じるている部分と全体のつながりを悟った点にあります。その洞察は、ストレスの低減を可能にし、心身のリフレッシュをもたらします。彼のマインドフルネスは禅の学びから始まっていますが、独自の展開になっています。その独自性が世界に広まった理由だと考えられます。カバットジン氏の本物のマインドフルネスを学びたい方は、彼の主著「マインドフルネスストレス低減法」を読み、信じて素直に実践すれば修得できます。真意がつかめていないのにわかったように講義している人もいるからです。

 20世紀最大の科学者も今を解明していない

 アインシュタインは「時間はない、あるのは今だけだ。時間は物質の変化にすぎない」と言ったそうです。私たちが生きているのは今だけだということを彼は言いました。しかし、その今とは何かは説明していません。大科学者にしても、今は究明できなかったのです。今とは私たち生命のことです。今がわかることは、この不思議な生命がわかることと同じことです。

 今と意識の関係…哲学者デカルトのとらえた我(われ)が今

今を感じることができるのは意識です。受信した感覚を鋭敏にし、言葉で考え、イメージし、行動に結びつける意識が今の入り口であり、今の一部分ですが、今の全体ではありません。デカルトの「我(われ)思う故に我あり」という言葉は、今考えている意識こそ、真実であるというのことです。それこそが自らの存在を確かにするものであると結論づけました。デカルトの論理的思考は、近代哲学の幕開けと言われています。今は意識の思考で成り立っているといっても、その意識とは何かが未だにわかっていません。わかっているのは、意識は脳を介して起きる心の現象ということだけです。

 私たちの意識は1000の1も今をとらえていない

 人間の意識できる世界は、わずかであり、意識には多くの障(さわ)りがあります。例えば、私たちの身体を観察しても、今を意識できる身体感覚は1000分の1以下です。身体は無数の細胞(約46兆という説もある)で成り立ち、組織化され意識と関係なく動いています。消化器系、呼吸器系、循環器系、ホルモン、神経、脳、感覚器官などいくつもの組織化された系統があります。痛みや快という刺激が加わったとき、例えば「歯が痛い」と感じれば、その時、歯を意識します、おなかが痛くなると腹部を意識します。食べ物を食べておいしいと感じるとき、味覚を意識します。花を見て、きれいと感じた時、花を味わう心を意識します。また、心はどこからとも起こり、喜んだり、悲しんだり、落ち込んだり、落ち着いたりするなど意識と関係なく生起し流れてゆきます。意識はいつもほんの一部しか感覚したり思考したりすることができません。意識は今の一部しかとらえることができず、心身(生命現象)全体をとらえることはできません。 

 今という意識の波から、今の生命全体という大海をとらえたブッダ

 今の意識から、生命全体を覚知した人が釈尊・ブッダです。生命の真理を悟った人と言われています。ブッダのことを覚者・仏と言います。この宇宙には三世に無数の仏が存在すると釈尊が表現したように、無数のブッダが存在します。今の瞬間の生命に脈打つ法こそ三世の諸仏・ブッダが悟った真実の法です。それを指標に今を生きることで、今の意味が分かるとブッダは語りました。今がわかれば、どんな苦しみも乗り越えられます。また今がわかれば、楽しく生きることができるとブッダは教えてくれています。なぜなら、今は如如・にょにょとして来る「如来」であり、法性だからです。

 ブッダがとらえた今は最先端科学の素粒子理論で一部を説明できる

 ブッダかとらえた今という生命現象に接近するためには、ブッダの悟りに肉迫するしかありません。ブッダの時代には文字表記はなく、すべて「如是我聞・にょぜがもん」(自分は、このようにブッダの教えを聞いた)という形で後世に伝わりました。ブッダの教えを正しく残すために、ブッダ滅後に数度の経典結集が行われ、500人以上の仏弟子が、ブッダの教法を吟味・精査し正しく残してきました。

 その教法は、インドの24人の付法蔵の正師によって1000年近くをかけて継承されてゆきます。そして中国の天台大師、日本の聖徳太子、伝教大師、日蓮聖人らに正しく伝えられてきました。何を継承したのか、それはブッダの志であり、慈悲であり智慧であり、真理の法です。そこに我見はありません。ブッダの核心の法は、「サ・ダルマ・プンダリャキャ、ソタラン=妙法蓮華経」、「空・くう」「12支縁起」『中観…空、仮、中の生命観」「唯識・ゆいしき」「止観・しかん」「一念三千理論」「色心不二」などという生命科学理論を展開してゆきます。その理論を理解すれば「今」が解明できます。それぞれが難解ですが、深層心理学をはるかに凌駕し、最先端の素粒子理論がブッダの理論(空や縁起の理論…観察すると動く、ひも理論など)を一部証明しつつあると言われています。

 ブッダが直観智した世界は、事物、物事の言語を超えたありのままの宇宙の諸法です。それは振動であり、周波数であり、音色であり、波動であり、音楽であり、慈悲であり、エネルギーであり、無量の智慧であり、光です。その世界を最先端の科学が今、帰納法を使って仮説し、実験を繰り返し、証明している形になっています。

筆者の生命哲学研究歴… 広島大学総合科学部(一期生)在学中から、哲学、文学、思想、日本人の行動様式論、生と死の宗教(主としてキリスト教と仏教)、心理学、仏法生命哲学を研究してきました。深層心理学と仏法生命哲学研究歴は50年を超え、ここ10年は量子力学、身体科学と仏法生命科学(中心は法華経)の関係性を重点的に研究しています。学びの旅は今も続いています。