自分が悪い方向に向かっていることのメッセージ…それは苦という感覚が教えてくれます。苦は心に闇をもたらし、私たちを迷いの海に漂流させます。しかし、苦は自分が変われるかどうかの試練にもなります。なぜなら、苦なくして生命の浄化はできないからです。それを「苦に徹すれば珠になる」(注1)とも言います。苦の受容なくして、私たちは善い方向に変わることはできません。苦を契機に、自分を善い方向に変えることができれば、心は秩序を取り戻し、楽が心に満ちてゆきます。人は、善い方向に変わる可能性を持った存在であることを、偉人たちは教えてくれています。しかし、現実は、人は善い方向に変わることができていません。ほとんどの人が現状維持の習慣力で生きています。なぜ変われないのでしょうか。
(注1)文豪、吉川英治の言葉。歴史小説を100冊近く残しています。著名なものに、「三国志」「宮本武蔵」「新平家物語」「太閤記」などの名作があります。
悪い方向に変わるのには、努力も正しい学びも必要ない
悪い方向に変わるのは、簡単です。泥棒も、強盗も、詐欺も、いじめも、モラハラも、クレーム行為も、パワハラも、暴力も、殺人も、各種依存症も、欲望の趣くままの行為だからです。それも生命の破壊的働きに支配された行為です。生命の破壊的働きである魔性に支配された生命の行き着く先は、苦しみが充満する心の地獄です。誰人にも内在する生命の破壊的働きは、自分の意識を支配し、そして人を支配します。それは、自分の意識が無方向の混沌としたエネルギーに支配された姿であり、良心が働かなくなり、悪を制御できなくなります。結果、行動は破壊的となり、人はどんどん不幸に向かって坂道を転がります。
建設や創造は死闘ですが、破壊は一瞬です。私たちの生命は、破壊と創造、生と死の闘いを、細胞レベルでも不断に行っていますが、私たちには意識できません。破壊と創造の二つの働きをもつのが私たちの生命の本然の姿(注2)なのです。破壊は悪であり、創造的建設は善です。破壊の最たるものが、人が人を殺す戦争です。戦争は大魔の働きです。戦争は人を破壊し、建物を破壊し、自然を破壊し、人間性を破壊します。その人間のもつ破壊性と真正面から戦ったのが、非暴力主義を貫いたガンジーです。
人間は、始めから、悪い方向に向かうのではなく、時間の流れの中で、善くなっていこうとする心を失うと、徐々に悪い方向に傾いていきます。表面に現われる行動には、それを支える心があります。見えない水面下で堕落が始まり、悪い方向に少しずつ傾斜していくのです。悪へ人を導くものは、欲望執着の強さであり、悪しき言葉であり、悪情報であり、悪友であり、悪信念です。それらをまとめて悪知識と言い、悪習慣とも言います。人はどんな欲望に執着するのか、とんな言葉や情報を信じるか、どんな思想を持つか、どんな習慣を持つのか、どんな友を持つのかで、善い方向にも悪い方向に向かい、病にもなり、健康にもなり、幸福にもなり、不幸にもなります。
(注2)破壊と創造の二つの働きが生命の本然の姿…生命真理の覚者(ブッダ)は、生命の本質を無明即法性ととらえました。無明を煩悩とも言います。無明は生命の混沌とした本来的エネルギーです。法性は生命のもつ創造性であり慈悲であり智慧であり光です。善悪どちらの方向にも向かいます。これは宇宙の存在のすべてが持つ生命現象です。現実の動物的生命(人間も含む)は無明に支配されています。戦争という人殺しが止まないのは、人間が無明に支配されている厳然たる証拠です。無明を法性に転換するには、生命の覚知しかないとブッダは悟りました。生命の覚知とは、比喩的に言えば、闇に太陽の光が差し込むようなものです。太陽の光に照らされれば闇はなくなります。無明は闇であり、太陽の光が法性です。生命の覚知によって、無明の生命を明らかに見ることができると言います。人々が無明を転換できれば、地上から戦争やいじめはなくなり、この世は浄土(争いや醜い欲望の噴出した濁った人の少ない国土)に変わります。その転換法は生命の覚者ブッダ(注3)に学ぶしかありません。なぜなら、すべては生命から起きている現象だからです。
(注3)ブッダ…生命の真理を直観智し悟った人のこと。覚者・ブッダは釈迦(悟った後、釈尊と呼ばれている)一人ではありません。この宇宙には無数のブッダが存在していると釈尊は言います。私たちも釈尊の真理の法を修行してゆけばブッダ・覚者になれると釈尊は言いました。私たちの生命の中に本然的に存在する尊い生命の働きを悟る、そのものになりきることを、真の悟りと言います。地獄の灼熱の苦も清らかな慈悲も創造性もすべて私たちの心の中にあるというのが本然の生命の姿なのです。
善い方向に変わる条件1…善い言葉、善い書物に出遭い、思考や想像力を働かせること
多くの人は、言葉や情報を吟味することなく、簡単にだまされます。なぜなら私たちは、思考する必要のない社会に生きているからです。社会が視聴覚中心の情報社会になっているからです。宣伝などの視聴覚中心の情報やAI情報は思考する機会を奪います。視覚への刺激の強さは、脳を麻痺させる力を持っています。視覚の刺激の強烈さは、残像を伴い、対象を印象深く心に刻ませ魅了し、人を衝動的に行動させる力を持っています。そこに思考力は必要ありません。欲望が思考を支配するからです。
賢い人の条件の一つは、読書力があることです。読書は、読み方一つで、思考力も想像力も養えます。ただ学校の勉強のように、受動的勉強や読書は身につきません。本人の知りたい、善くなりたいという意欲がなければ肉化できないからです。書物には、悪書もあれば良書もあります。良書は人を高め、善い方向に導いてくれる書のことです。良書は少なく悪書は蔵に満ちているのが現状です。
良書に出遭うことは、自分を善い方向に変える条件の一つです。見極める基準は、作者の人格や人間性、生きざま、その内容の科学的真実性を見ることです。その意味で言えば、偉人の伝記や真理を究明した科学書は、良書と言えます。私たちの精神世界を広げ、心を豊かに耕し、生き方を高めてくれるからです。偉人の言葉や真理の発見の集積である書(注1)は、人を善い方向に高め、幸福に導いてくれる最良の書です。
(注1)偉人の言葉や真理の発見の集積である書…孔子の論語、ソクラテスの弁明(プラトン作)、ブッダの経典、科学書全般(アインシュタインの書、ニコラ・テスラの書、物理・天文・医学・植物・身体学などの真理を解明した科学書)、ヘレンケラーなどの偉人の伝記など。
善い方向に変わる条件2…善い人に出遭うこと
人間は始めから人間ではありません。人に出遭い、人から多くのものを教えてもらうことによって人間になっていきます。この世で私たちが最初に出遭うの人は、母親です。母親の影響性は、何にもまして大きなものがあります。母の恩はどんな海よりも深いといわれるわけは、そこにあります。その人が、まともな人間であるかどうかを見究める条件の一つは、その人が親の恩を知っているかどうかを見ればわかります。カラスは、一人前になったとき、親に餌を運ぶ、恩鳥と言われています。恩を知らない人は、生命のレベル(注2)として、カラス以下のレベルなのです。母親が私たちを産んでくれたおかげで、今、こうして私たちは存在できているのです。親の恩を知らない人を畜生以下と聖人が言われた意味はここにあります。例え、どんな母親であったとしても、私たちを9か月近く、母胎の中で守り育て、この世に送り出しくれたのは事実です。その恩はどんな動物も感じています。善い人は、恩を知り、恩に報いる人です。過去の偉人は等しく、親の恩を知る人でした。
善い人は精神を高めてくれます。善い人の言葉は正しく、純粋で美しい響きがあります。何より生き方に嘘がなく真っすぐです。そして私利私欲がありません。そんな人のそばにいると、誰人にも本来、内在する善性が触発され、人格が少しずつ薫育されてゆきます。逆に悪しき人のそばにいると、「朱に交われば朱くなる」というように、人間が低下してゆきます。善い人に出遭うことは難しいことですが、書物を通じて善い人に出遭うことは可能です。偉人の多くは、書物で過去の偉人に出遭い、その人の思想や生き方を学んでいます。
善い方向に変わる条件3…善い人の言葉を信じて実行すること
人は観念を持つ。だが信念の中で生きる。…オルティガ(スペインの哲学者)
朝起きて顔を洗ったり歯を磨いたりするとき、水に毒が混ざっていると疑うことはありません。水を信じているからです。食べ物を食べるときも疑いなく食べます。食べ物を信じているからです。私たちは、普段は、対象や環境を疑うことなく受け入れています。信じるとは、対象や環境を受け入れることと言えます。私たちは習慣的に多くのものを疑うことなく、受け入れることで生きていけます。生きるとは、常に何かを信じることで成り立つ営みと言えます。
信じることによって自分と自分を取り巻く環境が一致します。信じるとは、対象を受け入れ、行動することなのです。それを智と言います。信じる対象によって、智のレベルや発動力は変わります。その智の高低によって、幸不幸が決まってゆきます。心身を破壊する悪い言葉や考え方などを受け入れれば、心身が傷つき、不幸になってゆくのは当然の結果です。逆に善いものを信じてゆけば、心身が福に満ち、幸の方向に向かってゆくのは道理と言えます。 善い人の言葉を信じて、それを受け入れ、実行してゆけば必ず善い方向に変われます。 「人は善根を成せば必ず栄える」(聖人)…人は善の行為を積み重ねてゆくなら必ず栄え幸福になってゆくという意味です。
善い方向に変わる条件4…常に学び、常に向上し続けること
私たちの体は一瞬の停滞もなく変化し続けています。心臓は休まず鼓動し続け、肺は酸素と二酸化炭素を交換し、血液は全身をめぐり、酸素と栄養を全細胞に届けます。脳細胞は常に振動し、全身の神経からの電気信号を受信します。40数億個の細胞は止まることなく新陳代謝し、変化し、生と死を繰り返します。自然も地球も月も太陽も宇宙の全存在は動き変化しています。人間の心が、もし停滞し止まれば、この変化に適応できなくなります。体や自然の変化に乗るように変化し、成長し続けることが、より善く生きることなのです。それが学びであり、学んだものを実践し身に付けてゆくことになります。そうすることで、心は更新し、善い方向に変化成長することができるようにます。
善い方向に変わる条件5…理想を持ち、その実現を誓って行動を止めないこと
私たちの最終目標は人格の完成であり、自己実現です。その理想に向かって進むとき、小さなことは気にならなくなります。
生きる、それは心身全体が記憶している習慣的行動といえます。外にある世界や心の中から浮かぶものに対して感覚が反応し、それを意識します。そして、考えたり、寝たり、食べたり、好きなことをしたりなど、すべて過去の知識と記憶が中心になって、私たちは動いています。それが今を支配しています。
心身を健康に保って生きる上で重要なことは、食べてエネルギーを得ること。呼吸で酸素を取りいれること、寝て疲労を回復させること、体を動かし全身に酸素と栄養を補給すること、経験したものから学ぶことなどです。食生活、生活リズム、考え方やものごとの受け止め方なども記憶され習慣化されていきます。私たちは今までの記憶された習慣で自動的に生きているからです。
「習慣は第二の天性なり」(古代ギリシャの哲人ディオゲネスの言葉)とあるように、習慣は後天的に作り上げた素晴らしい能力の一つです。
よい習慣は、よい人生をもたらします。よい習慣とは、ほどよくバランスを保って生きることであり、自然のリズに則って生きることであり、調和を大事にして生きることです。よい習慣作りは日常のことを意識し見直し、工夫することで身に付けることができます。よい習慣は人生を生き抜くうえで大きな力になり、健康な人生をもたらします。
1、呼吸…よい呼吸は心身を健康にします。
鼻で呼吸するようにします。口で呼吸すると汚れた空気が直接に肺に入り、血液が汚れる原因になるからです。緊張したとき、疲労したときは、鼻から息を吸い、口から静かに力を抜いて、ゆっくり吐きます。吸う(緊張・交感神経優位)、吐く(リラックス・副交感神経優位)。酸素を全細胞にゆき届かせる呼吸を心がけます。4秒程度で吸い、8秒程度でゆっくり穏やかに吐く呼吸(丹田呼吸・おへその下の部分を意識する)をこころがけるだけで神経は自然に調和されていきます。イライラしている時、不安や緊張の強いときは、この呼吸をすると落ち着きます。自律神経の調節に役立ちます。
2、 体によいものを食べる、飲む…消化、吸収、代謝を促す飲食をこころがけます。せっかく食べても栄養として吸収されなければ意味がありません。そのためには、両あごで、よく噛んで食べます。白米のごはんで30回以上、噛むようにします。よく噛むことの効用はいくつもあります。食べ過ぎを防ぎます。自律神経の働きがよくなります。脳が活性化されます。唾液には殺菌作用があり免疫力を高めます。消化吸収を助け造血作用を高めます。よいネルギーになり生きる原動力になります。
3、よい睡眠をとる…生活を自然のリズム(太陽・地球)に乗せるようにします。日中の生活が睡眠に影響するからです。太陽リズムに合わせた、早寝早起きのリズムは最適です。睡眠は新陳代謝力を回復させる健康の必須要素です。睡眠不足は、身体を疲労させ、病気を招きます。よい睡眠は明日の活力の源泉になります。二十二時から二時が、回復(新陳代謝…生まれ変わり)のゴールデンタイムと言われています。寝る1時間前はスマモ・パソコンから離れるようにします。スマホは脳や神経を緊張・興奮させます。緊張時は血管が収縮し、血液の流れが滞り病気の原因を作ってしまうからです。興奮も神経を疲れさせます。
4、心身に過度の刺激を与えないようにします。強い刺激は感覚に強いストレスになります。恐怖や強い快感など。スマホ、パソコン、テレビ、嗜癖的行為(ギャンブル、ゲーム、酒、歯止めなく没頭する行為など)私たちは、意識できていませんが、神経を疲労させています。
5、軽い運動と簡単な体操、リズム運動をこころがけます。運動は血行をよくし、副交感神経を活性化させます。緊張からリラックスモードになっていき、心身は調和されます。鬱治療の第一は、運動と言われるぐらいです。病に共通しているのは、血行が悪くなっていることです。その改善は、運動と呼吸が最良とも言われています。
6、朝の太陽の光を浴びるようにします。新陳代謝を促すからです。太陽光には殺菌作用もあります。体内時計をコントロールし安眠を促します。私たちは太陽から限りない恩恵を受けています。太陽の光なしでは生きていけません。
7、心と体に優しいエネルギーを取り入れるようにします。笑うと免疫力が高まります。温かな会話・音楽・読書・楽しいこと・自然散策・入浴・他者への思いやり・生きていることの感謝の心などをもつと心は落ち着き癒されます。
8、生きることは変化に適応する闘いです。闘わないと生き続けることはできなくなります。止まったり、停滞したりすると心身は衰え、弱っていきます(廃用性萎縮…使わないと廃って、滅びていく)。
正しい目的をもって前に進み、自分の弱い心に負けないようにすることで、環境に適応できていけます。学び続け、自分を向上させ、その光で自分を輝かせ、人も照らす太陽のような生き方を目指すと心の健康度が上昇します。
9、苦しみは楽しみの種子です。苦しみ、痛み、嫌な気分は受け入れること(反応から対処すること)によって軽く流せるようになります。生きるとは常に新しい経験です。自然も宇宙も私たちの心身も一瞬の停滞もなく動き変化していることを意識して生きるようにします。すべての変化・経験を学びとすることで、できごとを前向き、ポジティブ思考に変えることができ、自らの向上につながります。経験を全面的に受け入れることで自己肯定が高まります。その生き方は、苦を喜びに変える生き方につながります。寛恕(心を広くもち、思い遣り、恕す)の心をもつようにすると人間関係のしこりがなくなります。
10私たちが生きていること…それは意識活動(好き、嫌い、快、不快で感覚的に反応)ですが、全体の〇、一%以下です。意識できない世界で心身は活動しています。つまり意識できない働きは九十九、九%以上なのです。意識している一部分にとらわれたり、振り回されたりすることは愚かなことです。意識している世界から広大な潜在意識の世界という全体のつながりを感じて生きるようにすると大きく開けます。そのためには、今の瞬間の目的に、集中して生きることです。過去も未来も今にあります。今を深く生きることで、どんな嫌な過去も、新しく塗り替えてゆくことができるようになります。
善い方向に変わるのことを妨げるもの1…間違った言葉、情報、知識を信じ心が偏ること
私たちは、この世に誕生したとき、わずか直径0,2ミリほどの一つの精卵細胞という微小な存在でした。それがいつの間にか40数兆個の細胞になり組織化され、現在の]体に変化しています。これらの不思議な働きを生命の持つ慈悲といい、智慧ともいいます。この宇宙のすべては、慈悲と智慧によって産みだされたとブッダは悟りました。このあまりにも不思議な働きをユダヤの人たちは、人間の心の外にその働きを見い出し、神と名付け、万物の創造主としました。それに対してブッダは宇宙にもつながる法が、わが心の中にもあるものと直観したのです。誰人にも内在する内なる妙なる力であるからこそ、その法を覚知できれば、人は自力で自分の宿命を変えてゆけると説いたのです。この世界のあらゆる言葉も思想も宗教も、すべて人間の思考から始まっています。存在する言葉、思想、宗教は人間が創ったものであり、決して人間を離れてはいません。ここを間違えると正しい法から外れてゆきます。
慈悲は美しい秩序であり、調和をもたらします。慈悲は心が産み出す人間美の芸術です。慈悲ある人は内面から、素敵な輝きを放ちます。慈悲は絶えず変化し、更新される美しさです。私たちの生命は、もともと創造性と破壊性の二面を持っていますが、破壊性を創造性に変えゆく智慧を秘めています。その力を慈悲と言います。慈悲とは万物を産み出し育み慈しみ守り、苦しみを抜く大悲の智慧です。赤ん坊を無心に守り慈しむ母の振る舞いも慈悲です。慈悲は智慧を生みます。人間の最も美しい品性は慈悲です。桜の花を見て心を癒されるのは、桜の持つ慈悲の働きを私たちが感じるからです。すべての生物は、本来その慈悲の智慧力を内在しているとブッダは覚知しました。そして、それを私たちの生命に汲み出す方法を教えてくれました。
偏りや執着は秩序を乱し、病を招きます。過剰や不足はバランスを崩し、心身を不調にします。生命の本来の秩序を知ることが何よりも大事です。科学を信じて生きている私たちは、部分観に生きざるを得なくなっています。科学は部分の分析から法則を発見し、私たちの生活に利益をもたらすという実証を示しているからです。分析された対象は真実です。しかし、ものごとの全体をとらえてはいません。意識し分析できる世界と、意識を超えて分析不能な広大な世界の働きに目を向けることが大事になります。部分と全体のつながりを知ることが、健康になるための必須の条件です。真の健康には、いかなる財宝や名声にも及ばない、喜びと心の躍動と調和の美があります。それは心の中に、もともと潜在する慈悲と智慧が現れたものにすぎません。これを「無上宝珠、不求自得」(…無上の宝珠は求めざるに自ずから得たり)とブッダは説きました。宇宙最高の宝が、私たちの生命にもともと存在しているということです。その宝こそ慈悲のエネルギーなのです。慈悲は創造するエネルギーとも表現できます。その慈悲を私たちの生命に湧き出させる方法はブッダに学ぶのが一番です。自力で学び修行し、自らそこに到達するには、一生をかけても到達できないかもしれません。正しい先人の智慧に謙虚に学ぶのが早道です。正しいことが大事になります。正しくないと努力が徒労に終わるばかりか、偏りは執着を作り、不幸の原因になります。
善い方向に変わるのことを妨げるもの2…うまくいかない原因や不幸の原因を自分以外に求めること
不幸の原因、うまくいかない原因を自分の心の外に求める限り、自分を変えることはできません。他力本願は、依存心を強め、自立から遠ざかります。自分を変えるためには、うまくいかない原因を自分に求めることから始まります。
生命の流れは混沌としたエネルギーであり、人間の苦・不幸の原因を自らがつくりだします…仏法生命論では、生命の流れを「煩悩・業・苦」の三道の流れととらえています。煩悩は生命のもともとのエネルギーであり、混沌としていて、苦楽の両方を持った流れです。意識は快楽を求め、それを、五感覚を使って行為します。その行為を業と言います。その行為は習慣力を持ちます。特に刺激の強い、快楽と恐怖は、自動的に反復行為をします。脳内細胞の電気信号であるシナプスの配線が太くなっていて簡単に反応してしまうからです。人は五感の快を求め、思い・考えるという意識はそれを強め執着・愛着し、生命の調和を失っていきます。また恐怖という不快を極度に避け、結果恐怖にとらわれてしまいます。その不調和が病であり、苦をもたらします。
その流れの転換方法をブッダは、「法身・般若・解脱」の三徳と説きました。般若は智慧という意味です。法身は、私たちの本来の浄化された生命のことです。その生命には無量の智慧が内在されています。その生命の智慧を引き出せば、苦は浄化される(解脱)という流れに変わります。法身とは誰人の生命の中にも内在する、仏性・法性のことです。この生命を引き出すことができれば、あらゆる苦は楽へと変わってゆきます。その道を仏・菩薩道と言います。その道を行くには、ブッダのような正しい師と、宇宙の真理の法(三世の仏が悟った法)の学びが必要になります。「何も考えず権威を敬うことは真実に対する最大の敵である」とアインシュタインは言いました。
善い方向に変わるのことを妨げるもの3…五感覚の欲望に流されてしまうこと
善い方向に変わるのことを妨げるもの4…欲望の執着や依存が強く、悪い習慣を身に付けていること
善い方向に変わるのことを妨げるもの5…自分の心の恒常性を破れないこと
善い方向に変わるのことを妨げるもの6…臆病の心に支配され、勇気を出さないこと
(注2)生命のレベル…私たちの生命は、十段階のどれかの境界に属しているとブッダは覚知しました。
生命の位(10のレベル)…1、瞋る地獄界 2、貪る餓鬼界 3、保身の畜生界 4、優劣比較の修羅界 5、人間らしい人界 6、喜びの天界 7、学びの声聞界 8、智慧と発見の縁覚界 9、慈悲の菩薩界 10、平等大慧の仏界
私たちの生命は、人も植物も動物も以下の10種のどれかの境界に属して今を生きています。その生命状態が持つ固有の周波数と波形の音色を境涯と言います。1から順次、10に向かって生命空間は拡大し、生命力、智慧、慈悲は強く豊かさを増し、安定度も自由度も増していきます。1の地獄界が最低の境界で、10の仏界が最高の境界で智慧と歓喜の世界です。1から6までの境涯は、環境に振り回されやすく、特に1から4の境涯は、対象にマインドコントロールされやすくなります。
多くの人の意識は、6番目の天界を目指しています。その世界に楽しさ、喜び、快適さ、幸福があると思っているからです。6番の境涯を獲得しているように見える総理大臣や大統領や億万長者は、私たちの目には幸せそうに映ります。しかし、生命の位は6番の位置にすぎません。なぜなら、その境涯は、砂上の楼閣であり、安定せず、移ろいゆく仮の位であり、やがて跡形もなく消え去ってゆくものだからです。しかし、多くの人の意識は、その位置に執着し、不幸の原因を作ってゆきます。
鳥や動物も自らの家族や子どもを守るために自分を犠牲にし、中には命さえ捧げる動物もいます。動物の「かたち」をしていますが、その時の生命の位は9番目の菩薩界の高さにあります。人間が、勝手に人とか犬とか鳥とかに分類し名付けているだけです。「かたち」は異なりますが、すべて同じ動物であることには変わりません。他の動物からすれば、犬もカラスも人も同じ動物の一種なのです。果たして、どの生き物が生命の位が高いのか、実のところ判別できません。(かたち…人間、動物、昆虫、細菌、魚、植物などの「かたち」・体は過去世の自らの業・行いの集積が自ら決めるという生命の法則…下欄の阿頼耶識に詳述)
「世界でもっと素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり、手で触れたりすることはできません。それは心で感じなければならないのです」とヘレン・ケラが言ったように 「心で感じる」しかわからないようです。植物や果樹は実ったコメや麦や実を他の動物に捧げるという崇高な働きをする9番を演じています。人は他の生物より、知的能力に優れているにすぎません。
動物や植物は「感じる」能力は、ある部分では、人間以上のものがあります。ミミズは目も耳も鼻もありません。皮膚で光を感じ、水分を調節し暗い土中で、光を感じて生きています。植物も光の感度は、人間を大きく上回る能力を持っています。家族や種を守ろうとし、命すら犠牲にする、ある種の動物より、人のほうが優れているといえるかどうかは疑問です。人は、鳥のように空も飛べません。しかし知的道具の銃で鳥を撃ち殺すことができます。人が他生物より優れているのは知的可能性だけです。すべての生物は、十境界を平等に持っています。
私たちを含め、この宇宙のすべての存在は、心の奥底で10の仏界の不動の境界を目指し、その方向を向いています。なぜなら、私たちの生命の生まれ故郷であり、母なる安心大地だからです。その境涯の修得こそ崩れない心の豊かさをもたらします。その境涯には、充実があり、強さがあり、賢さがあり、智慧に満ち、無上の宝珠があり、浄化された自由自在な喜びの絶対的幸福があります。それが、私たちを含めた生物の、ありのままの、本来の生命の振動と音律なのです。
1、地獄界…束縛された不自由な境涯。苦をもたらすものをはねかえせない恨み憎しみ、怒りと破壊の渦巻く境界。強い怒りが自分に向かえば自殺を招くことがあります。 瞋り(怒り)が原因で地下の獄につながれ、不自由となる最低の生命の境地です。怒るほどエネルギーは消耗し、最後は枯渇し、苦をはね返せなくなり、今、活力があっても、徐々に苦を受動的に無限に受ける身となっていきます。うつ病には、意識できない強い瞋りが潜んでいます。 その瞋りは自分を責める自責の炎となり、自らの生命を損傷し、気力を奪います。やがて、苦しみからの解放策として、死が甘美な装いを持って迫ってきます。自殺は、人間知性が生命の魔性・破壊性に乗っ取られた姿です。どんなに苦しくとも、知性を働かせ生き続けなければなりません。苦しみのエネルギーが死後も続き、永遠に続くことを思えば、生きている間に苦しみを乗り越えなければなりません(阿頼耶識を参照にしてください)。地獄界の起こす振動は不規則で、その波形は乱れ、波動は逆流し、破壊攻撃波は最後は自分に向かい生命力を奪い、死に向かいます。怒りという生命の魔性にマインドコントロールされ、自分を見失う境涯です。争い、戦争、破壊の主因は瞋りであり、地獄界を現出します。 (じごくかい)
2、餓鬼界…貪(むさぼり)・飢渇(きかつ)、執着、自らの欲望の炎(ほのお)に焼かれ、求めても得られない渇(かっ)し、もだえ苦しむ生命境涯です。 貪は貧で、貪るほど貧しくなります。あくなき欲望、身を焦がすような欲望が原因で、地獄に堕ちてゆきます。人は五欲(五つの感覚器官がもたらす快感)に執着します。快は心地よく、ドーパミンという快楽神経伝達物質は、電気信号を通じて、私たちの脳や心身を麻薬のように麻痺させるからです。対象に向かうエネルギーは一時的に高揚し、自他の損傷を招き、破滅に向かいます。金の亡者、人気・地位・名誉・異性に貪著・執着する人は餓鬼の境涯です。恋や性欲の奴隷であるストカー殺人の背後に貪欲の執着地獄の炎が見えます。餓鬼界の波動は竜巻に似ています。通りさった後に残るのは、無残にも破壊された残害物です。あくなき欲望にマインドコントロールされる境涯です。各種依存症は、依存対象にマインドコントロールされた状態であり、餓鬼界を中心に、愚かさ、瞋りが原因です。(がきかい)
3、畜生界…癡(おろか)、威張る、愧(はじ)ない心、弱肉強食、強いものに巻かれたり、弱いものをいじめたり、傷つけたり、強いものに殺されたり、弱いものを殺したりする攻撃と恐怖の保身の先を見ない境涯です。何が正しく、何が間違っているかわからなくなり、道理に暗い世界です。残害(ざんがい)の苦を伴います。残害の苦とは殺される恐怖を味わうということです。動物や人は強いものに殺されるとき、この恐怖に震えます。愚かさが原因で恐怖と不安の世界に堕ちます。クレマーの心理もここにあります。相手が自分より強い人にはクレームできません。反撃されることを知っているからです。強い立場・高い立場を利用して下位のものをいじめたり、暴力をふるうのは、この畜生界の癡かさが原因です。目先のことしか見えず、そのとき倫理・道徳観はなく、人間も動物の本性になります。目先の欲望に己を失いマインドコントロールされてゆきます。
私たちの善悪の行為は脳に記憶され、阿頼耶識(注3)に堆積し、悪行が多く積もると、来世は動物や餓鬼や地獄の世界に生まれ罪を償うことになります。これを因果律と言います。賢い人は、動物的生き方をやめ、人界を目指します。因果という道理がわからない者は、来世、動物に生まれることを無意識で希望しているようなもので、こうした生き方がとまりません。動物といってもライオンになるわけではなく、ハエやダニやゴキブリになるかもしれません。閻魔大王が決めるのではなく、すべて自分の生き方が来世の生のかたちを決めます。畜生界の強い人は、先が見えないほどの盲目さなのです。だから、畜生界を癡と言うのです。周波数は乱れ、音色に響きはなく、遅滞し、どんよりした波動を伴っています。各種暴力、パワハラ、いじめ、戦争の原因は畜生界が中心で、貪り、瞋りが原因です。(ちくしょうかい)
(注3)阿頼耶識…天親菩薩(5,6世紀ごろのインドの大乗論者、インドでは釈尊に次ぐ覚者、そのほかに竜樹菩薩がいる)が発見した心の八つの世界を唯識といいます。唯識とは、一切の現象は、ただ識としての心に映し出されたものにすぎず、万法は意識の変貌であり、識以外に存在するものはないということです。五感覚を通して現象を認識する、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五識。五感覚は外の世界を把握する器官です。五感覚で区別した世界を言葉を通して感覚を鮮明にし、貪著(とんじゃく)するのが六番目の識としての意識です。七番目のマナ識は自我執着識とも思量識とも言われ、愛憎で汚れやすい潜在識で、染汚意(ぜんまい)とも言います。八番目の阿頼耶(アラヤ)識は、記憶の貯蔵庫と言われ、過去の善悪の行為をすべて貯蔵している識とされます。阿頼耶識は自分と他人を区別します。その働きが他生命との差別をつくってゆき苦に染まりやすくなります。私たちの「今」の生命活動は、そのアラヤ識から、マナ識を経て、意識化されます。このアラヤ意識が宿命・宿業を作る、一切の種子識とされ、私たちの次の生命の活動を自動的に産みだします。さらに来世の私たちの生の「かたち」(動物、人間、植物など)を決定すると言います。生命エネルギーは、「かたち」を変えますが、不変です。今の境涯が、来世も続くというのがブッダの悟りです。
以上の三つを三悪道と名付け、人間の苦しみの根本因としています。現代の世界の各地の戦争や紛争をはじめとした惨劇、社会的犯罪などの不幸な現象はこの三悪道から起きるとブッダは慧眼し、警告しました。まさに現実化しています。果たして人間はこの不幸の連鎖を断ち切れるのでしょうか? こうした人間の苦を解決しようと、人間の知性は宗教を作り出し、救いを求めました。宗教は人間苦の解放から生まれたものですが、あくまでも私たちと同じ人間の知性が作った言葉であり知識です。ここを間違えると、不幸は数倍に膨れ上がります。最近の社会的事件を起こした宗教がその事実を物語っています。
言葉や知識や思想・宗教は人の不幸を加速させる危険性を持っています。一例をあげれば、旧約聖書やハムラビ法典の「目には目を」という言葉は、「同害報復」を許す言葉ですが、それが、「殺されたら、殺せ」になり、殺人の連鎖を生みだし、戦争を継続させています。「目には目を」を脳科学から分析すれば、「攻撃には攻撃を」「怒りには怒りを」「憎しみには憎しみを」「恨みには恨みを」になり、その反復は、脳内の電気配線を強化し、瞋り憎しみは心深くに刻まれてゆき、抜けなくなります。そして殺し合いという戦争は激しさを増す結果になってゆきます。そこに人間を超えた神という言葉が登場すると、その行為は正当化され、人間倫理や道徳は神の名のもとに消え去り、地獄絵図が展開されます。その収束は、アルマゲドン(世界の終末に神と悪魔の勢力が最終決戦を行う戦い。新約聖書ヨハネ黙示録)という非科学神話で幕を閉じます。
また宗教・思想が集団化すると必ず腐敗します。どうしても不純物(私利私欲の人間)が混ざり、その不純さが集団内を汚染するからです。これは集団・組織の持つ宿命であり、10種の生命境界を持つ人間にとって、免れることはできません。何を信じるかで幸不幸が決まります。信じる対象の理論と科学的実証性が重要になります。科学性なき言論は詐欺といっても言い過ぎではありません。科学は理論を実験し証明し、現実に価値を生み出し、万人が納得できる形にします。科学は納得という説得力を持つものです。
ニュートン物理学のころから、今日まで、量子力学、素粒子力学などの形而下学・けいじかがく(物質学)が学問の世界を席巻・せっけんしています。その発見発明は人間の現実世界を利益し、価値をもたらしているからです。それに対して、心理学、哲学、宗教など形而上学(けいじじょうがく)は科学性に乏しく遅滞しているように見えます。物質世界は実験証明し法を発見します。形而上学は、現象を現象たらしめているものを把握する世界です。それは直観智による法の発見の手段をとります。
かたちや物質は、見えない働きで成立しています。その見えない働きを智慧と言います。その見えない智慧を悟る働きは、ヘレン・ケラが言う「心で感じること」なのです。それには生命の濁りを浄化することが必須になります。ヘレンは三重苦という想像を絶する苦との戦いの中で、心が浄化され、心で物事を感じることができるようになったのです。濁った生命の鏡には、正しいものが映らないからです。どのように生命の濁りを取り、浄化させるかが幸福になる必須条件です。その方法は先人覚者の、「抜苦与楽」(他者・自己の苦しみを抜き楽を与える修行)の菩薩道を鏡とするしかありません。自他ともの「苦しみを抜く」という苦との対決の中で、生命の浄化が進みます。「逆境は最良の教師なり」(イギリスの政治家、ディズレーリ)「艱難汝を玉にす」とはこのことを言っています。
ブッダは、この宇宙を構成する、すべての法を悟った人と言われています。その悟りの智慧に生きれば価値が生まれます。智慧には、大きくわけて10種あります。10種の境界に応じて発動し、生きる対処力が智慧です。智慧は必ずしも人を導くものではありません。そのときの自分の生命活動の対処力です。犯罪者のような悪知恵、人をだます知恵、殺人機械を作る知恵など智慧もいろいろです。地獄界の智慧が最も光が弱く仏界が最高の光を放ちます。物理学、量子力学の智慧は、8番の縁覚の悟りの光です。アインシュタインの発見を可能にした智慧も8番です。仏の智慧は、仏智といい、宇宙を照らすと言われています。仏法は、宇宙の法と智慧を発見した科学です。それは正しく実践したもの者によって今日まで証明されてきました。しかし、証明者の数が少ないのです。理由は、正法の実践の難しさより、仏法を正しく伝える私利私欲のない清廉潔白な人が少なかったからです。(知恵と智慧の違い…知恵は、すべての対処力を指し低いものから高いものまでを含みます。智慧は、価値を生み出す対処力という意味で使っています)
4、修羅界…いつも人と比較し、人より勝りたいという気持ちに支配されている境涯。傲慢になり、嫉妬に苦しみます。人より優れようとしたり、劣等に苦しんだりする戦々恐々とし、心が揺れ動く不安定な境界です。自分が優れていると思ったり、劣っていると思ったりし、心が安定せず、ものごとを正しく見ることができなくなります。認知が大きく歪んでしまい、心も屈折してゆき、病んだ心を作ってゆきます。現代の競争社会…学歴、成果主義社会の根底にある生命は修羅界です。人と比較し、人に勝とうと思い、心は安定しません。目はいつも外を向き、自分を見つめる心を失いがちです。だから安定できないのです。その振動はぎこちなく、ある時は、鋭く対象に向かうため、無駄なエネルギーを使い、波形は乱れ、屈折します。虚勢を張って、格好よく見せようとしますが、生命の波形は人工的で、本当の美しさはありません。こうした競争社会に疲れ、家に回避しているのが、不登校・ひきこもりの要因の一つになっています。 (しゅらかい)
上記四種の世界を四悪趣(悪へ趣く生命) といい、不幸の原因の境界としています。あらゆる病はこの四つの世界の偏りが原因で起こります。 その偏りを、もとのありのままの姿に調和させ、病を治したのがブッダの仏法生命科学です。釈尊(ブッダ)は医王と呼ばれ、万病を治したと言われています。
5、人界…人間界。平穏、安定した思いやりに満ちた平和な本来の人間の生命状態、海や風の凪(なぎ)のような状態。人に勝とうとするより、自分に負けないように努力する境涯です。振動に、乱れは少なく、穏やかな波動を奏でています。そばにいても安心できる境涯です。常に過去の自分と現在の自分を比べ成長しようとします。人間らしい思い遣りの溢れた世界です。 この境涯を定着させて、生きてゆけば、来世も人間に生まれるとブッダは説いています。(にんかい)
6、天界「満足・充足・喜びの生命」…喜びの深さには三種類の世界(三界・さんがい)があるとされています。次にその三種を説明します。1、欲界・よっかい(五感覚の欲求がが満たされた世界…食べる、飲む、アルコール摂取、ゲーム・ギャンブルをする、寝る、住まい、衣服、性欲、物質、お金、名声、地位、権力など…一時的なもので壊れやすい) 2、色界・しきかい(作曲、絵を描く、文章を書く、科学の発見など学術・芸術の世界…深い充実感をともなう) 3、無色界・むしきかい…精神世界(言葉で思考したり、瞑想したりして、閃(ひらめ)きを得たり、何かを悟ったりする純粋な精神の世界…法悦・ほうえつ)欲界の頂上が魔王(生命の破壊王)の住所とされています。人は天界を目指して生きており、1、2、3の順番で喜びは深くなります。2,3などの世界は、自分に打ち勝つ軌道の先に訪れる世界です。ブッダは「三界は安定できない、まるで火宅のようなものである」と説き、さらに上位にある四境涯(四聖)を目指すことを教えました。(てんかい)
自分を変える道は、四聖の道を歩むことにある
人間はこの六つの世界を縁(対象)によって巡ります。六道輪廻(ろくどうりんね)しているとブッダは説きます。この六つの境界は環境に左右されやすい生命状態で安定できず、幸福になることは難しくなります。 ブッダは安定した世界を目指すため、次の四つの境涯(四聖の境涯)を目指すことを説きます。
7、知の探求者の声聞界…宇宙・生命の法を聴く、宇宙・生命の正しい法を学びます。そして自らの生命の真実を知る努力をします。広く言えば、正しい知識を学び、自分のものにする向学の心、向上する生命です。学生、学者、研究者など。直観知の一つ、慧眼(けいがん)を具えるようになります。 ソクラテス、プラトン、ニーチェ、キルケゴール、ショウペハウアー、マルクス、ベルグソンなどの哲学者などが代表です。(しょうもんかい)
8、法則の閃き発見者の縁覚界…宇宙・生命の法の一部を悟ります。見えない世界や法則を悟る、発見、発明、閃き・ひらめきの世界です。慧眼を具えます。ゲーテ、ベートベン。レオナルドダビィンチ、ニュートン、アインシュタイン、ニコラ・テスラなどが代表的な人たちです。(えんかくかい)
9、慈悲の菩薩界…自他ともの生命を高め慈・いつくしむ慈悲と智慧の振る舞い、自己中心性を克服し生命を大きく飛躍させる崇高な生命です。自他ともの抜苦与楽に生きる人です。人としての憧れの存在です。直観智の一つの法眼を持ちます。ヘレン・ケラ、ナイチンゲール、孔子、イエスキリスト、天親、竜樹などの菩薩などが代表的な人たちです。自分中心のエゴとの真正面の対決、生命の魔性との闘いが求められます。だから、人々は菩薩道を回避してしまいます。結果、仏界に至ることができなくなります。 (ぼさつかい)
10、平等大慧の仏界…生命の真実を悟り永遠性を覚知できる智慧と絶対安心、清らかな生命状態です。自由自在な境地です。生命全体を直感する仏眼を持ちます。六根清浄の果報、常楽我浄の四徳(コラム4)を得て、生きていること自体が楽しくて楽しくて仕方がないという絶対的幸福境涯になります。釈尊、天台大師、伝教大師、日蓮聖人、三世の諸仏などが代表的な人たちです。(ぶっかい)
以上の四つの境界は、生命が安定し、エネルギーに満ち、環境や他者を価値的にリードすることができると言われ、四聖・しせいの境涯と呼び、仏道修行の目標となりました。
生命の十界論…天台智顗・てんだいちぎ(538年~597年、天台大師のこと。隋の皇帝も帰依し国師となった人)によると、ブッダの究極の法を多面的にとらえ「一念三千論」の生命科学理論を提唱し、像法時代(釈尊滅後1000年から2000年の期間)の仏・ブッダ(生命の真理の覚者)と言われています。すべての人間の生命に等しく十境界は内在し、縁(対象)によって現れると説きます。人間は、今の瞬間に、10境界のどれかを表わしていますが、一定せず絶えず変化(生死を繰り返し空・くうの状態で存在)していると説きます。
書籍… 不登校・ひきこもり・心の不調から蘇る本(改善率96%) …6月出版予定(限定300冊)
第一章 不登校・ひきこもりの心理
1、不登校・引きこもりになったとき親が考えなければいけないことはどんなことでしょうか 2、なぜひきこもるのでしょうか 3、不登校、ひきこもりに不足している心の安心領域とは何ですか 4、現代社会はひきこもり・不登校にどんな影響を与えているのでしょうか 5,なぜ不登校・引きこもり・心の不調者が増加するのでしょうか 6、ひきこもり・不登校の心理的要因と再生の道 7、心の安心領域はどうすれば育ちますか コラム1 不登校を産み出す学校環境
第二章 生きることは空模様に似ている 雨の日もあれば晴れの日もある
1 人間の基本は自分の身を守る本能的行動 2 人間は思考する感情の動物 3 強い刺激は頭の中を巡り 心を乱す 4 生きることは空模様に似ている 雨の日もあれば晴れの日もある 5 生きることは闘い 闘わないと滅びるのが動物種としての人間 6 人間は何のために生きるのか…青年釈迦の苦悩
第三章 不登校・ひきこもり・心の不調を解決する心の具体的な方法
1,ストレスと健康 2,不安を軽減する方法 3,感情と思考と言葉 4感情は言葉や思考で制御できない 5,最も制御することが難しい感情は怒り 6,怒りを調整する方法 7,心を平穏にする方法 8,対人不安を軽くする対処法 9,嫌な気分を受け入れたまま生きる 10,執着を解放する方法 11,人の心が分かるようになるために 13心の壁は臆病が描き出した幻にすぎない 14,対人関係をよくするさわやかな表現法 15,安心感が育つと 自立しやすくなる 16,心が持つ不思議な働きと力を知ると心が軽くなる 17,地球の働きを知れば、本当の生き方に目覚めていく 18,生命本来のリズムに乗って生きれば心は安定し、平穏になっていく
第四章 本来の自己に出遭うとき、自分らしく生きることができる
1,自分らしく生きることが幸福 2,自分らしさの探求は社会常識との戦い 3,自分らしさの獲得は自分独自の規範を作ることにある 4,社会常識を昇華することが心の独立 5,自らの光で周囲を照らす生き方 6,自分というかけがえのない個性を自覚する 7,何に価値を置いて生きるかが大事 8,他人の評価に振り回されない自分を築く 9,健康的な習慣が自分らしさを発揮させる 10,自分を自分らしく表現する方法 11,自他尊重のさわやかな自己表現法
第五章 質問に回答する
1,自分が嫌いです。自分を好きになるにはどうすればよいですか?(高校生)
2,人は死んだらどうなりますか?(大学生)
3,生まれながらに差別があるのはなぜですか?(中学生)
4,いじめは、なぜなくならないのですか(高校生)
※この書は、知識を集大成させた机上の学問の本ではなく、思想、哲学、文学、宗教学、心理学、身体学、諸科学の筆者の遍歴と50年間の教育実践、思春期の青年との関わりから試行錯誤し、研究したものから生まれた経験・実践をまとめた筆者独自の芝蘭の便り・本です。
以下に、第一章の1
第一章 5 親が 考えなければならないことは、どんなことでしょうか
子どもが不登校・ひきこもり状態になったとき、親が考えないといけないことは、原点に戻ることです。この場合の原点とは、苦しんでいる子どもの心です。子どもの心と向き合い、子どもの心を知ろうと努めることが最初にやるべきことなのです。なぜ、このような状態になったのか。その要因はどこにあるのか。何が過剰であり、何が不足していたのか、どこの部分を支援すれば、子どもが人間的な健全成長を遂げることができるのかを考えることです。子ども自身も、なぜ今の状態に陥ったのかがわからないこともよくあります。
不登校・ひきこもりという出来事は、一面から見れば苦という状態ですが、視点を変えれば、親も子どもも一緒に、人間的に成長する、またとない機会を与えてくれたかけがえのない出来事と見ることができます。そのようにひきこもり・不登校という心のありさまを前向きにとらえることができれば、本質的解決の道に入ることができます。
子どもが、どんな状態になっても、子どもをそのまま受け入れ、大事に守っていくという無条件の愛情(注3)を親が持つことができれば、子どもは必ず良い方向に向かっていきます。また、親自らが誠実に子どもの成長を願い行動している姿は、必ず子どもの心に届き、やがて心を開いてゆくようになります。苦悩する子どもにとって、親の真心の愛情に勝る良薬は、この世界にはありません。ユダヤのことわざに「母親は百人の教師に勝る」とあるのはこの意味です。
芝蘭の室を訪れる長期不登校・ひきこもり者は心療内科にかかったものや公的な福祉機関に通所した経歴を持っています。数カ所を巡った人も少なくありません。そのほとんどの人が、改善せず芝蘭の室に来所しています。なぜ、そのようなことになるのでしょうか。
脳の神経伝達物質(セロトニン、ドーパーミン、アドレナリンなど)を標的にする薬では、心の問題を解決することは困難であり、本質的な対処にはなりません。解熱剤ぐらいの一時的効能はあるかもしれませんが、あくまでも一時的な症状緩和であり、本質的解決をもたらしてくれるものではありません。なぜなら、心とは何か、意識とは何かが現在の最先端の脳科学でも解明できていないからです。ただ分かっていることは、心は脳をはじめとした身体を通して、「苦しい、痛い」「気分が悪い、何もする気がしない」などの苦しみの言葉や気分や症状として表現されるということです。その身体の主要な一部の働きを担っているが脳ですが、すべての細胞に心の働き(注4)がみられるのも事実です。だから難解なのです。
心の不調の場合、多くの場合、苦しみは心の炎症から生じています。身体のそれと違って心の傷は見えません。服薬は、依存性を高めたり、副作用による身体の不調を招いたりすることがあります。不登校状態を長引かる結果にもなりかねません。複雑な心を診ることは大変難しいことなのです。心の病は見立てと対処を間違うと悪化するのは、身体の病気の誤診と同じです。ただ心の場合、誤診(注5)していても、曖昧にすることができます。私たちが、慎重に賢明にならないと、心の健康を守ることもできなくなります。
(注3) 無条件の愛情…ヘレンケラーを世界的偉人に育てた陰の支援者はサリバン先生です。目が見えなくなり、三重苦から自暴自棄に荒れ狂うヘレンに対して、彼女は忍耐強く無条件の愛情を持ち続け、終生ヘレンに尽くし、彼女の持つ可能性を開いたとされています。ヘレンの偉業はサリバン先生なくしては成し遂げられなかったと言われています。ヘレンは「私を作ったのはサリバン先生です」とサリバン先生の恩に報いる行動を生涯、貫いたと言われています。
(注4)細胞に心の働き…すべての細胞は振動し、微弱な光を出しています。それをバイオフォトンと学者は名付けています。人間を構成する細胞は約46兆個と言われていますが、その細胞一つ一つが生命現象を演じ、酸素と栄養を取り入れ、新陳代謝し、エネルギーを発し、環境変化に適応し生と死を演じています。奇跡的な働きです。分析できる見える物質を支えているのが見えない働きです。心は関係性で生起するので、とらえることができないと、最先端の量子力学が「量子のもつれ現象」などで、心の不可思議さの一面を分析しています。
(注5) 「誤診」(心の科学、NO164…精神科臨床における誤診、薬物療法偏重と誤診、うつ状態の鑑別診断と誤診、大人の発達障害と誤診などが編集されている) 「精神科臨床はどこへ行く」(心の科学・井原裕編)‥薬を巡る諸問題、治療現場で起きていること、PTSDの乱発―心のケアのいかがわしさなど「ブラック精神医療」(米田倫康著)‥知ってほしい精神医療現場の驚愕の真実
〇筆者の生命哲学研究歴… 広島大学総合科学部(一期生)在学中から、哲学、文学、思想、日本人の行動様式論、生と死の宗教(主としてキリスト教と仏教)、心理学、仏法生命哲学を研究してきました。深層心理学と仏法生命哲学研究歴は50年を超え、ここ10年は量子力学、身体・脳科学と仏法生命科学(中心は法華経)の関係性を重点的に研究しています。学びの旅は今も続いています。