「大事なのは、まだ誰も見ていないものを見ることではなく、誰もが見ていることについて、誰も考えたことのないことを考えることだ」(シュレディンガー、20世紀の物理学者、波動力学を提唱、ノーベル物理学賞受賞)
生きていると感じるのは意識の働き
生きていると感じること…それは今の意識が感受した世界のことです。心地よい、苦しい、何も感じないなど対象に応じて変わる感覚です。全身麻酔をすれば意識はなくなりますが生きています。意識がなくなれば、生きていることの苦楽の実感もなくなります。
では意識とは、一体何でしょうか。現代科学でも、解明できない謎の一つです。です。はっきりはなくなります。していることは、私たちの意識は、脳の働きと関連して起きる現象ということです。だからといって脳から意識が生まれるのではなく、脳を経由して働く、分析できない存在です。意識は、脳がシナプス(注1)を通して受信する無数の電気信号のオーケストラの奏でる音楽のようなものです。それは無量の音色を持つ振動の調和音です。その振動はエネルギーとなり波動を通して、周囲に伝わりますが、私たちには見えません。
(注1)シナプス…脳には1000億個のニューロン細胞があると言われています。その各ニューロン細胞には、ひものような細長いものが100個から10万個出ていると言われています。その先端部分をシナプスと名付けています。脳内のシナプスは膨大な数になります。シナプスを通して各ニューロン細胞は電気信号(ナトリウムイオンなど)を行き来させます。シナプス間隙を行き来するのが、神経伝達物質(セロトニン、ドーパミンなど)と言われるものです。シナプスを通った電気信号が記憶になり、意識に大きな影響を与えます。恐怖や快刺激はシナプスが大きくなり、強く記憶に残り、消えにくくなります。私たちが夜に見る夢は、シナプスの消滅や整理の働きをしていると考えられます。脳波は脳の電気信号によって起きる電磁波の大脳皮質部分のごく一部を測定したものであり、脳の全体の振動をとらえたものではありません。
意識は心のごく一部しか感知できない
意識は広大な心のごく一部であり、心全体ではありません。また意識は対象の一部しか感知できないという限界を背負っています。頭が痛い、おなかが痛い、憂鬱だなど、心身の一部の痛みや苦しみというメッセージを受け取っているのが意識です。意識は、私たちの心身全体を感知できません。つまり意識=自分ではないということです。体の司令塔が脳だとすれば、私たちの心身全体のリーダー的な働きをしているのが意識です。意識は生きていることの一部しかとらえることができませんが、意識によって行動の方向性を変えることができるのは確かです。ですから、自分を変えることは意識の方向性を変えることと言えます。
例えば、痛みを受信した意識は、痛みを除去しようと、ある場合は活動を止めて休み、またある場合は病院などに行って手当をして痛みを取り除くという行動を指示します。また、おいしい食べ物など、心地よい感覚をもたらすものに対しては、愛着し、その行動を繰り返したりします。それらは意識が決める方向性です。意識の働きの一つは感知した世界に対して、その感覚を鮮明にし、言葉やイメージ化を図り、方向性を決めることです。
意識の部分への偏りと執着が心の病をつくる
意識は部分しか感知できないため、部分への偏り、対象への過剰行動が起きます。例えば、好きだからと言って、朝から晩までスイーツを食べれば、病気になります。またゲームが好きだからといってゲーム三昧の生活をすれば、脳が緊張や興奮に耐え切れず狂い、やがて多くのシナプスが破壊されてゆきます。依存症は、意識の偏りや行動の過剰、執着の結果です。悪習慣病とも言えます。対象への偏りや執着は心身全体を見失せます。多くの病は部分への偏りや過剰行動と執着が原因によって起きる不秩序状態です。いずれも心身全体の秩序を見失った姿です。これは身体だけに限ったものではなく、心も同じです。
「おのれを知り 相手を知らば 百戦あやうからず」(孫子・そんしの兵法書)…自分を知り、相手を知ることができれば、どんな戦いにも勝てるという意味です。生きることは闘いです。自分を知ることができれば、闘いに負けることはありません。しかし、自分を知ることほど難しいことはありません。自分を知るためには、心を日常から離し、静かに心身を見つめることが大事になります。それを瞑想と言います。ここでは、自らの生命活動の母体である身体を知り、それを最大限に生かすための身体観察瞑想を紹介します。
意識から全体を把握し、心身の秩序と調和をはかる身体観察瞑想
身体観察瞑想は、身体の各部分の観察を通して心身全体を感じ、秩序と調和を知覚する作業です。やり方は自由ですが、私たちの身体の各部分を一つ一つ観察していくのが基本です。以下は私が毎朝実践している身体瞑想です。
まず体を外の世界から守り、命を支えている皮膚から始めます。全身やけどで皮膚の1/3以上を損傷すると死に至ると言われています。人は通常人間の体の皮膚しか見ていないといってよいでしょう。皮膚の下に内在している、骨、筋肉、血管、脳、各種の臓器は見えません。皮膚が覆って守ってくれているからです。最近、皮膚は臓器と言われるようになりました。人体最大の免疫器官であり、無数のセンサーが埋め込まれた感覚器官です。皮膚は臓器や内部の身体を外の種々の細菌、ウィルスから体を守り、その総重量は十キロを超えます。人間の外側の表皮角化細胞は爪や髪と同じように死んだ細胞なのです。その死んだ細胞を見て美人だの美男などと私たちは言います。頭の先から足の指の先の皮膚を観察し、その働きを想像してゆきます。瞑想とは研ぎ澄まされた集中力を駆使した想像のことです。そして、それらの働きに感謝してゆきます。
次は骨です。私たちの身体を支えてくれている土台です。もし足の指を一本骨折したとしたら、痛みの激しさに、歩くこともできなくなります。たかだか、身体全体の千分の一以下の指の骨一本という部分すぎませんが、故障すると身体活動全体に支障をきたします。これが部分と全体の関係性です。部分は全体に影響します。また骨があるから体の姿勢を保つことができますし、二本足で大地に立ち、全体のバランスを取り、歩くこともできます。全体は部分によって構成されていることがわかると思います。意識は部分しか感覚できないことが理解できたでしょうか。
次は筋肉や腱・靱帯です。これらの働きで私たちは骨を動かし自由な動きができます。私はよく肩が凝るので、肩を触りながら肩の筋肉に、ありがとうと声をかけています。そのように全身の筋肉を観察し、その働きに感謝してゆきます。
次は脳と神経です。脳は頭蓋骨に守られ、脳との間に髄液が存在し、衝撃に耐えられるようになっています。脳の外側を覆っている大脳皮質は私たちの思考や見る、聞く、体を動かす、記憶するなどの働きを担っています。一瞬のうちに視覚野は外の世界の形や色を識別したり、聴覚野は音の種類や声を区別したりします。脳幹は生きるための呼吸、睡眠などの働きを担っています。脳内には億を超える神経細胞・ニューロンが存在し、そこから波状的に出ているシナプスの数は兆を超えています。そのシナプスとシナプスの間は無数の電気信号が飛び交い、脳全体としては無秩序に一秒間に十回近く振動し、混沌としています。それがある瞬間、混沌が統一された秩序状態を作ります。それが気づきであり、気づきの流れが意識であるとフリーマン(脳科学者)は言います。
また、神経細胞は脊髄に守られ、その管の中にはやはり髄液が流れ、衝撃から神経を守っています。その神経は体の隅々まで末梢神経として張り巡らせ、体の異変、快・不快、傷つきなどを信号として意識に届けます。意識は、痛み、苦しみ、心地よさなどを受信し、方向性を指示します。
次はホルモンです。ホルモンは炎症を抑えたりして体を調整する恒常性機能の役割をします。脳幹の近くにある下垂体ホルモンはメラトニンなどの働きにより睡眠の調整をしたりしています。喉の下あたりある甲状腺ホルモンは、やる気などに関係しています。副腎のホルモンはアドレナリンなどによって情動を調整します。性ホルモンは男女機能を調整しています。ホルモンは血液に乗って、必要なものを必要な臓器に届けます。ホルモンは情動という感情を生み出します。ホルモン機能の調和は感情の安定をもたらします。
次は消化活動を担う働きを観察していきます。食べたものは顎の骨や筋肉、口内環境、歯、唾液、味蕾の味の感覚(うまい、甘い、塩辛い、酸っぱい、苦いなど)など総合的な働きによって、口内で咀嚼されます。そして食道の蠕動運動によって、下に降りてゆきます。その間には気管の入り口への誤嚥を防ぐ弁の開閉によって胃に届けられます。胃では数時間三十八度の温度で、食べたものが殺菌され、保管消化されます。食べ物の過剰を防ぐため二~六時間胃にとどまります。もし次から次に食べ物が腸に流れていったら、腸が疲労し壊れてしまうからです。
十二指腸で本格的な消化活動が始まり、膵臓や胆嚢の酵素によって、血糖値を調整したりして消化が進みます。約六メートルある小腸でさらに本格消化が始まり、血液に乗って肝臓に送られます。肝臓は約1.2㎏もある最大の内臓器です。そこで食べ物は加工・貯蔵され、血漿を通して各臓器に栄養となって運ばれます。血漿水・血液は、細胞の排泄物を受け取り体内をめぐり腎臓で濾過されます。大腸では数十兆個の大腸菌によって消化吸収され、残物が直腸に溜まるとサインによって便として排泄されます。食べたものは口から入り、各消化器系の臓器をたどり約二日間の旅をし、全身の各細胞のエネルギーになります。普段は考えることすらありませんが、私たちはこうしたエネルギーのおかげで生きています。意識で生きているわけではありません。全体の細胞の働きの組織だった調和で生きているのです。
食べ物は消化され、血液を通して全細胞に運ばれます。しかし食べたものの中には、毒性なものや細胞に悪いものも含まれていますし、過剰な栄養分もあります。それらを浄化するのが腎臓です。腎臓は一分間で一リットルの血液を浄化し身体を守ります。糖尿は血液の濁りに影響しています。その濁りがひどくなると腎臓の機能も壊してしまいます。食べ物はすべて栄養となりエネルギーとなるわけではありません。栄養であり薬であると同時に毒にもなることを知らなければなりません。肝臓は食べ物を解毒したり、保存したり約四百の加工的な働きをしながら体を守り動かしています。全身に張り巡らせているリンパ腺やリンパ節は外敵から身を守る免疫活動をし、血液の浄化や水分調節し体を守ります。
次は呼吸器系と循環器系です。私たちは食べ物と呼吸で生きています。呼吸は体内に酸素を取り入れ二酸化炭素を外に出します。鼻から入った空気は汚れているので、鼻腔で鼻毛などにより、ほこりなどの汚れた空気が気管に入るのを防ぎます。アレルギー性鼻炎は、この鼻腔の働きの過剰反応と言われています。鼻腔を通過した空気は喉を通ります。この喉のリンパ球がウィルスや菌を駆逐します。この戦いに敗れると風邪やインフルエンザになったりします。喉を通過した空気は気管を通り肺に入ります。
肺には約4億の肺胞があります。その肺胞の一つ一つの周りは無数の毛細静脈と毛細動脈に覆われています。肺胞に入った空気は、毛細動脈を経て、大きな大動脈に送られ心臓に入ります。心臓から鼓動によって動脈の中のヘモグロビンによって全身の細胞に酸素を届けます。そして二酸化炭素を受け取り静脈に乗って、心臓に戻り、やがて肺の周囲の毛細静脈に帰ります。それが肺胞に入り、吐く呼吸と一緒に外に出てゆきます。4億の肺胞は酸素と二酸化炭素の交換を行っています。こうして私たちは呼吸で生きています。その神がかり的な働きに畏敬の念を持ち感謝の心が沸き起こってきます。
以上が毎朝行っている私の身体観察瞑想です。この瞑想のおかげで、たくさんの気づき、閃き(ひらめき、インスピレーション)がおとずれ、自分の身体が、何にも替えがたい貴重な宝であることに気づくようになりました。そして今まで以上に、身体を大事にするようになりました。その結果、健康になり、心も健全になり、充実した日々を生きています。身体観察瞑想は、朝でも、夜でも、どんな時間帯でもよいと思いますが、毎日続けることが大事です。静かな落ち着いた場所で行うと効果的です。時間は自由です。私の場合は、大体15分~20分程度で行っています。継続してゆけば、必ず効果を感じるようになります。まず意識が健康の方向に向かうようになります。三か月継続すれば、自分が善い方向に変わっていることを実感できるようになります。
〇筆者の生命哲学研究歴… 広島大学総合科学部(一期生)在学中から、哲学、文学、思想、日本人の行動様式論、生と死の宗教(主としてキリスト教と仏教)、心理学、仏法生命哲学を研究してきました。深層心理学と仏法生命哲学研究歴は50年を超え、ここ10年は量子力学、身体・脳科学と仏法生命科学(中心は法華経)の関係性を重点的に研究しています。学びの旅は今も続いています。