「世界で最も素晴しく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。それは心で感じなければならないのです。」(ヘレン・ケラ)
あなたは、日々何を感じて生きていますか…楽しさ、苦しさ、おもしろさ、つまらなさ、きつさやだるさ、充実、喜び、いらいら、怒りなど…。楽しさ、おもしろさ、喜び、充実を多く感じられる人は幸福です。逆に苦しさ、辛さ、ゆううつさ、不安さ、恐ろしさ、充実感の乏しい人は不幸です。人は、楽しさ、おもしろさ、喜びを求め、休日を利用して、海外まで旅行したり、危険を伴う山を登ったり、あるいは遠くまでライブやスポーツ観戦に行ったりします。また、富や地位や学歴や名誉や人気を得れば、楽しい喜びの人生になると思い、それらを必死に求めたりします。しかし、その先に、果たして何があるのでしょうか…。人は、目が外の世界ばかりを追っている間、本当の充実した喜びの人生を生きることはできません。目を内に向けることで、初めて気づかなかった素晴らしい世界に出遭うことができるようになります。では、私と一緒に、IQ300(注1)でも解けていない不思議な心の世界を探検してみましょう。IQ300でも解けていない難問ですから、難しいところは飛ばして先に進んでください。
(注1)IQ300…現在世界的に行われている知能検査はウェックスラ博士が考案されたWAIS検査です。平均IQが100に設定されています。すべての項目が満点でもIQ156以上という点数です。実際に、これまで満点を取った人がいたかどうかは報告されていません。筆者も、今日まで100名近くの方のWAIS検査を実施してきましたが、最高点はIQ134でした。天才と称されるアインシュタインやニコラ・テスラはIQ300はあるという人がいますが、それは事実ではなく、そのくらい知能が高いというたとえです。相対性理論という物理の奇跡の世界を発見したり、交流電圧をはじめ200以上の発見をした、アインシュタインやニコラ・テスラでも、心の世界は解けていません。ちなみにヘレン・ケラはEQ200だと筆者は推測します。EQは心の指数です。人生では、IQよりEQの高さが幸福度の目安になります。EQの高い人は幸福な人と言えます。ヘレン・ケラは三重苦に長く苦しみましたが、サリバン先生という善きに師に出遭い、学びと精進で心の目を磨きました。自らの三重苦を受け入れ、逆にそれをいかし、深い充実した人生へと生き方の転換をはかっていきました。そして自らの人生で体得したものを同じ苦しみに沈む人たちに語り、多くの人々に希望の灯をともした素晴らしい人生を生きた素敵な人です。
生きていると感じるのは…
生きている…それは神経が受信した振動を、意識が感情と言葉に変調したものです。楽しい、苦しいなど、対象によって変わる感覚を意識したものです。全身麻酔にかかれば、痛みも意識もなくなります。意識が潜在すれば、生きていることの苦楽の実感もなくなり、植物的生の状態になります。これは脳の一部の機能が麻痺した状態であり、脳幹などの働きは動いていますから、呼吸もし、心臓も動き、血液も全身をめぐっています。植物は痛みの神経(心情)が潜在しているので、苦楽を感受する機能はないように見えますが、光を感じ、細胞壁が神経の役割をし、外の世界と交流しています。植物は、人間が温かい声(振動・思い)をかければ、それを感じ、喜ぶように成長します。潜在している心が、こちらの心的振動に反応するのです。この世に存在するものは、すべて振動している(注2)とは、量子力学の発見です。人間も麻酔や眠りで意識が潜在状態になった場合でも、心全体(注3)は振動しています。生命とは振動です。
(注2)この世に存在するものは、すべて振動している…この宇宙に存在する、塵、生物、物質、空気、液体などはすべて原子、素粒子で構成されていると物理学は発見しました。その素粒子は振動し音を出し、独自の周波数で波動します(周波数…一秒間に振動する数、単位はHz・ヘルツ)。私たちの脳波は通常、シーター波(4~8Hz、まどろみ時)、アルファ波(8~13Hz、リラックス時)、ベーター波(13~30Hz、活動時)、ガンマ波(30Hz以上、緊張、興奮時)の周波数が中心になっていると言われています。
癒しの周波数は、528Hzと言われ、リラックス効果やDNAの修復が期待される奇跡の周波数という学者もいます。また432Hzは、自然の周波数や宇宙の響きと呼ばれ、心を落ち着かせ、感情を穏やかにする効果があるという学者もいます。人間が耳で聞くことができる周波数の範囲は、20~2万Hzと言われ、出せる音は80~1100Hzと言われています。ちなみに蝙蝠は10万Hzの音が聞き分けられる音の超能力動物です。波動は振動を伝えるエネルギーです。
周波数が高いと波動も大きくなります。この宇宙で最も周波数が高い存在は、現代量子物理学の発見によると光とされ、400兆Hz(赤外線)から700~800兆Hz(紫外線)と言われ、思考や想像を超えた神がかり的な奇跡の周波数です。この世界の周波数は、無限に近いものがあり、それが私たちの生命活動に影響を与えています。私たちは光で生きています。光は粒子であり波という二面性を持ち、その粒子は質量が0という不可思議な存在です。私たちは微細な光を体から出しています。それをバイオフォトンと言います。私たちの身体と心は無数の周波数を奏で波動しています。
(注3)心全体…西洋では、20世紀にフロイトによって、人の意識は無意識層に左右されるという無意識世界が発見されました。意識は心全体の氷山の一角にすぎないとフロイトは言います。彼は催眠や夢分析によって、無意識層に潜在する心的外傷体験(トラウマ)がもたらす神経症症状を治したと言われています。無意識心理学はユングによってさらに発展してゆき、今日に至っています。東洋では、約2600前に釈迦(悟った後は釈尊、仏陀・ブッダと敬称されるようになる)によって、宇宙大に広がり、永遠に存在する生命(心の全体)の振動を覚知されたと言われています。その覚知した振動(周波数)を比喩としての言葉に変調し、経(八万宝蔵といわれる経典)として後世の人たちに残しました。言葉や感情は周波数を表現したものです。ブッダは、覚知した法(周波数・光)で、実際に多くの人を救い、あらゆる病を治し、医王と呼ばれました。その真理の法は、ブッダの悟りの周波数に生きた人たちによって、今日まで伝えられています。
意識とは…
「大事なのは、まだ誰も見ていないものを見ることではなく、誰もが見ていることについて、誰も考えたことのないことを考えることだ」(シュレディンガー、20世紀の物理学者、波動力学を提唱、ノーベル物理学賞受賞)
生きていることを感じる私たちの意識とは、一体何でしょうか。現代科学でも、解明できない謎の一つです。はっきりしていることは、私たちの意識は、脳の働きに関連して起きる現象ということです。だからといって脳から意識が生まれるのではなく、脳を経由して働く、分析できない存在です。意識は、脳がシナプス(注4)を通して受信する無数の電気信号のオーケストラの奏でる音楽にたとえることができます。それはシナプスで送られる無量の電気信号が変調され、一瞬、統一された交響曲のようなものです。各楽器が感情となり言葉になり、生きることを演じます。また、その振動はエネルギーとなり波動を通して、周囲に伝わりますが、私たちには見えませんが、感じることはできます。「第六感は誰にもあります。それは心の感覚で、見る、聴く、感じることがいっぺんにできます」(ヘレンケラー)
(注4)シナプス…脳には1000億個のニューロン細胞があると言われています。その各ニューロン細胞には、ひものような細長いもの(軸索と樹状突起)が100個から10万個出ていると言われています。長いもので1mもあるそうです。その末端部分をシナプスと言います。脳内のシナプスは膨大な数になります。シナプスを通して各ニューロン細胞は電気信号(ナトリウムイオンなど)を行き来させます。シナプス間隙を行き来するのが、化学物質の神経伝達物質(ドーパミン、セロトニン、グルタミン酸など約100種類)です。シナプスを通った電気信号が記憶になり、意識に大きな影響を与えます。恐怖や快刺激はシナプスが大きくなり、強く記憶に残り、消えにくくなります。私たちが夜に見る夢は、シナプスの消滅や整理の働きをしていると言われています。脳波は脳の電気信号によって起きる電磁波の大脳皮質部分のごく一部を測定したものであり、脳の全体の振動をとらえたものではありません。脳内のヒモのようなシナプスは、宇宙の物質の究極の存在である素粒子のひも理論と似ています。脳の働きも素粒子の世界も不思議です。
意識は心身全体のリーダー
意識は広大な心のごく一部(コラム1)の働きであり、心全体ではありません。また意識は対象の一部しか感知できないという限界を背負っています。頭が痛い、おなかが痛い、憂鬱だなど、心身の一部の痛みや苦しみというメッセージを受け取り、思い、考え、感情を生み、行動へ導くのが意識です。意識は、私たちの心身全体を感知できません。つまり意識=自分ではないということです。体の司令塔が脳だとすれば、私たちの心身全体のリーダー的な働きをしているのが意識です。意識は生きていることの一部しかとらえることができませんが、意識によって行動の方向性を変えることができるのは確かです。自分を変えるとは、意識の方向性を変えることなのです。
例えば、痛みを受信した意識は、体から痛みを除去しようと、ある場合は活動を止めて休み、またある場合は病院などに行って手当をして痛みを取り除くという行動を指示します。また、おいしい食べ物など、心地よい感覚をもたらすものに対しては、愛着し、その行動を繰り返したりします。それらは意識が決める方向性です。意識の働きの一つは感知した世界に対して、その感覚を鮮明にし、言葉やイメージ化を図り、方向性を決めることです。
意識の偏りと執着という迷走が病気を招く
意識は部分しか感知できないため、部分への偏り、対象への過剰行動が起きます。例えば、好きだからと言って、朝から晩までスイーツを食べれば、病気になります。またゲームが好きだからといってゲーム三昧の生活をすれば、脳が緊張や興奮に耐え切れず狂い始め、やがて多くのシナプスが破壊されてゆきます。依存症は、意識の偏りや行動の過剰、執着の結果です。悪習慣病とも言えます。対象への偏りや執着は心身全体を狂わせます。多くの病は部分への偏りや過剰行動と執着が原因によって起きる不秩序状態です。いずれも心身全体の秩序を見失った姿です。これは身体だけに限ったものではなく、心も同じです。意識の方向性を変えれば偏りは調整でき、心身は健康になるということです。
自分を知り、意識を調和させることで、心身は健康になってゆく
「なんじ自らを知れ」「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らないより人間より賢い」(ソクラテス)。人間は自分のことがわかっていない、まず自分を知ることが大事であると訴えた哲学者の言葉です。自分を知ることほど難しいことはありません。自分を知るためには、心を日常から離し、静かに心身を見つめることが大事になります。それを瞑想と言います。ここでは、自らの生命活動の母体である身体を知り、それを最大限に生かすための身体観察瞑想を紹介します。
意識から全体を把握し、心身の秩序と調和をはかる身体観察瞑想
想像力は知識よりも大事だ。知識には限界があるが想像力は無限である…アインシュタイン
身体観察瞑想は、身体の各部分を知識をもとに観察し、想像力を働かせて心身全体を感じ、秩序と調和を知覚する作業です。やり方は自由ですが、私たちの身体の各部分を一つ一つ観察していくのが基本です。以下は私が毎朝実践している身体観察瞑想です。
まず体を外の世界から守り、命を支えている皮膚から始めます。全身やけどで皮膚の1/3以上を損傷すると死に至ると言われています。人は通常人間の体の皮膚しか見ていないといってよいでしょう。皮膚の下に内在している、骨、筋肉、血管、脳、各種の臓器は見えません。皮膚が覆って守ってくれているからです。最近、皮膚は臓器と言われるようになりました。人体最大の免疫器官であり、無数のセンサーが埋め込まれた感覚器官です。皮膚は臓器や内部の身体を外の種々の細菌、ウィルスから体を守り、その総重量は十キロを超えます。人間の外側の表皮角化細胞は爪や髪と同じように死んだ細胞なのです。その死んだ細胞を見て美人だの美男などと私たちは言います。頭の先から足の指の先の皮膚を観察し、その働きを想像してゆきます。瞑想とは研ぎ澄まされた集中力を駆使した想像のことです。そして、それらの働きに感謝してゆきます。
次は骨です。私たちの身体を支えてくれている土台です。もし足の指を一本骨折したとしたら、痛みの激しさに、歩くこともできなくなります。たかだか、身体全体の千分の一以下の指の骨一本という部分すぎませんが、故障すると身体活動全体に支障をきたします。これが部分と全体の関係性です。部分は全体に影響します。また骨があるから体の姿勢を保つことができますし、二本足で大地に立ち、全体のバランスを取り、歩くこともできます。全体は部分によって構成されていることがわかると思います。意識は部分しか感覚できないことが理解できたでしょうか。
次は筋肉や腱・靱帯です。これらの働きで私たちは骨を動かし自由な動きができます。私はよく肩が凝るので、肩を触りながら肩の筋肉に、ありがとうと声をかけています。そのように全身の筋肉を観察し、その働きに感謝してゆきます。
次は脳と神経です。脳は頭蓋骨に守られ、脳との間に髄液が存在し、衝撃に耐えられるようになっています。脳の外側を覆っている大脳皮質は私たちの思考や見る、聞く、体を動かす、記憶するなどの働きを担っています。一瞬のうちに視覚野は外の世界の形や色を識別したり、聴覚野は音の種類や声を区別したりします。脳幹は生きるための呼吸、睡眠などの働きを担っています。脳内には億を超える神経細胞・ニューロンが存在し、そこから波状的に出ているシナプスの数は兆を超えています。そのシナプスとシナプスの間は無数の電気信号が飛び交い、脳全体としては無秩序に一秒間に十回近く振動し、混沌としています。それがある瞬間、混沌が統一された秩序状態を作ります。それが気づきであり、気づきの流れが意識であると脳科学者のフリーマンは言います。
また、神経細胞は脊髄に守られ、その管の中にはやはり髄液が流れ、衝撃から神経を守っています。その神経は体の隅々まで末梢神経として張り巡らせ、体の異変、快・不快、傷つきなどを信号として意識に届けます。意識は、痛み、苦しみ、心地よさなどを受信し、方向性を指示します。
次はホルモンです。ホルモンは炎症を抑えたりして体を調整する恒常性機能の役割をします。脳幹の近くにある下垂体ホルモンはメラトニンなどの働きにより睡眠の調整をしたりしています。喉の下あたりある甲状腺ホルモンは、やる気などに関係しています。副腎のホルモンはアドレナリンなどによって情動を調整します。性ホルモンは男女機能を調整しています。ホルモンは血液に乗って、必要なものを必要な臓器に届けます。ホルモンは情動という感情を生み出します。ホルモン機能の調和は感情の安定をもたらします。
次は消化活動を担う働きを観察していきます。食べたものは顎の骨や筋肉、口内環境、歯、唾液、味蕾の味の感覚(うまい、甘い、塩辛い、酸っぱい、苦いなど)など総合的な働きによって、口内で咀嚼されます。そして食道の蠕動運動によって、下に降りてゆきます。その間には気管の入り口への誤嚥を防ぐ弁の開閉によって胃に届けられます。胃では数時間三十八度の温度で、食べたものが殺菌され、保管消化されます。食べ物の過剰を防ぐため二~六時間胃にとどまります。もし次から次に食べ物が腸に流れていったら、腸が疲労し壊れてしまうからです。
十二指腸で本格的な消化活動が始まり、膵臓や胆嚢の酵素によって、血糖値を調整したりして消化が進みます。約六メートルある小腸でさらに本格消化が始まり、血液に乗って肝臓に送られます。肝臓は約1.2㎏もある最大の内臓器です。そこで食べ物は加工・貯蔵され、血漿を通して各臓器に栄養となって運ばれます。血漿水・血液は、細胞の排泄物を受け取り体内をめぐり腎臓で濾過されます。大腸では数十兆個の大腸菌によって消化吸収され、残物が直腸に溜まるとサインによって便として排泄されます。食べたものは口から入り、各消化器系の臓器をたどり約二日間の旅をし、全身の各細胞のエネルギーになります。普段は考えることすらありませんが、私たちはこうしたエネルギーのおかげで生きています。意識で生きているわけではありません。全体の細胞の働きの組織だった調和で生きているのです。
食べ物は消化され、血液を通して全細胞に運ばれます。しかし食べたものの中には、毒性なものや細胞に悪いものも含まれていますし、過剰な栄養分もあります。それらを浄化するのが腎臓です。腎臓は一分間で一リットルの血液を浄化し身体を守ります。糖尿は血液の濁りに影響しています。その濁りがひどくなると腎臓の機能も壊してしまいます。食べ物はすべて栄養となりエネルギーとなるわけではありません。栄養であり薬であると同時に毒にもなることを知らなければなりません。肝臓は食べ物を解毒したり、保存したり約四百の加工的な働きをしながら体を守り動かしています。全身に張り巡らせているリンパ腺やリンパ節は外敵から身を守る免疫活動をし、血液の浄化や水分調節し体を守ります。
次は呼吸器系と循環器系です。私たちは食べ物と呼吸で生きています。呼吸は体内に酸素を取り入れ二酸化炭素を外に出します。鼻から入った空気は汚れているので、鼻腔で鼻毛などにより、ほこりなどの汚れた空気が気管に入るのを防ぎます。アレルギー性鼻炎は、この鼻腔の働きの過剰反応と言われています。鼻腔を通過した空気は喉を通ります。この喉のリンパ球がウィルスや菌を駆逐します。この戦いに敗れると風邪やインフルエンザになったりします。喉を通過した空気は気管を通り肺に入ります。
肺には約4億の肺胞があります。その肺胞の一つ一つの周りは無数の毛細静脈と毛細動脈に覆われています。肺胞に入った空気は、毛細動脈を経て、大きな大動脈に送られ心臓に入ります。心臓から鼓動によって動脈の中のヘモグロビンによって全身の細胞に酸素を届けます。そして二酸化炭素を受け取り静脈に乗って、心臓に戻り、やがて肺の周囲の毛細静脈に帰ります。それが肺胞に入り、吐く呼吸と一緒に外に出てゆきます。4億の肺胞は酸素と二酸化炭素の交換を行っています。こうして私たちは呼吸で生きています。こうした神秘な秩序ある働きをアインシュタインは神と言い、ブッダは「如来秘密 神通之力・にょらいひみつ じんづうしりき」(コラム2)と表現しました。こうした働きに畏敬の念が沸き起こり合掌する思いになります。
この世に誕生したときは、私たちは、わずか0,2ミリ程度の精卵細胞でした。その細胞は母と父によってもたらされました。おなかの中では9か月近く母親が、私たちを守ってくれました。乳飲み子の頃も母は守ってくれました。次第に大きくなる中で、祖父母や親せきの方、兄弟姉妹、学校の先生や友達、多くの社会の人々などに支えられ、この素晴らしい体を生きることができています。今日まで自分を支えた人たちに対して自然に感謝の念が起きてきます。恩を知り、恩に報いる生き方が自然の人の道であることに気づき、人間の道に生きることができるように変わっていきます。
以上が毎朝行っている私の身体観察瞑想です。この瞑想のおかげで、たくさんの気づき、閃き(ひらめき、インスピレーション)がおとずれ、自分の身体が、何にも替えがたい貴重な宝であることに気づくようになりました。そして今まで以上に、身体を大事にするようになりました。その結果、健康になり、心も健全になり、充実した日々を生きています。身体観察瞑想は、朝でも、夜でも、どんな時間帯でもよいと思いますが、毎日続けることが大事です。静かな落ち着いた場所で行うと効果的です。時間は自由です。私の場合は、大体15分~20分程度で行っています。継続してゆけば、必ず効果を感じるようになります。まず意識が健康の方向に向かうようになります。三か月継続すれば、自分が善い方向に変わっていることを実感できるようになります。
(コラム1)意識は広大な心のごく一部…見ないが働きとしての存在を感じるものを心と表現しています。縁(対象・法)に応じて変幻自在に生滅を繰り返します。有ると思えば無くなり、無いと思えば確かに浮かんでくるように、縁によって潜在と顕在を繰り返します。ブッダ(釈尊)はその存在を空(くう)、縁起の法ととらえました。「空」は無数の電波(潜在)が受信によって映像化(顕在化)されるものと似ています。顕在した一部を六番目の意識がとらえます。唯識生命論(世親作、300年頃のインドの人)は、潜在した心の世界には膨大な見えないが確かに働くものが存在し、縁によって意識に侵入するかのように顕在するものを発見しました。
フロイトは、心の世界を自我、超自我、イドという三層構造に分析したものでした。その根源をイド(性的衝動)としました。弟子であり、共同研究していたユングは、自ら統合失調症体験をしたと言われています。その体験もあり彼はフロイトのイド説から離れ、独自の無意識心理学を展開してゆきます。いわゆる個人無意識、集合無意識説です。ユングは、「チベット死者の書」「禅思想」に関心を持ち、西洋的自我の危機を救うのは東洋の英知だと言っていました。彼は、自分が感じた心の深い世界を曼荼羅(マンダラ)で表現しています。彼の無意識世界の洞察は唯識のアラヤ識に影響を受けていたことがわかります。
潜在識として意識の下に存在する七番目の末那識(マナ識)は思量識(自我執着識)と言われます。いろいろな思いがそこから意識に上ってきます。その思いは、自分が愛おしい、自分はすばらしい、自分が存在する、自分について無知など自己愛に執着した愛憎の識とされています。その下に、さらに現世の記憶、膨大な過去世の業(ごう)を貯蔵した八番目の阿頼耶識(あらや識)を発見しました。その業(過去の行為の蓄積、現世では脳内の記憶)が、末那識を経由し、意識を染色します。阿頼耶識と末那識が脳内のシナプスの活動に影響し、記憶と行動や感情に大きな影響を与えます。
天台智顗・ちぎ(中国、6世紀末の人)は、阿頼耶識の下に、九番目の識である根本浄識を止観(注5)によって発見しました。それが宇宙根源の法であり、宇宙に広がる生命の真理の法と釈尊が悟った世界と同じものでした。それは宇宙生命の無分別法であり、宇宙すべてにつながる九識の法(コラム3)と言います。つまり、宇宙即我(宇宙はそのまま我であり、我はそのまま宇宙である)とのブッダの悟りでした。この九識に生きるとき、生命は絶対安心の清らかな障りも恐れもない境地になるとブッダは自らの体験から語ってくれました。ブッダは自らの人間の中に仏を見たのです。そして仏(覚者)になりました。(注4)終わり
(注5)止観…心の流れをいったん止めるかのように、言葉やイメージで心を観察し浄化された集中心で、流れる心そのものになりきるという究極の瞑想法。
(コラム2)如来秘密 神通之力・にょらいひみつ じんづうしりき…釈尊が法華経(注6)で説かれた重要法門の一つ。如来とは仏を指しますが、広義には、私たち生命の根源的エネルギーと解釈できます。瞬間瞬間、如如(にょにょ)として来る生命のことです。その生命は私たちには思議することが困難であり、仏と仏のみが知る究極の悟りというのが「如来秘密」ということです。私たちの本来的生命エネルギーは、神通之力と言います。不思議な働きということです。鳥が空を飛ぶのも、魚が水の中で生きるのも、私たちが言葉をしゃべるのも、振動を声として聴きとるのも、すべて神のような働きなのです。それを如来秘密 神通之力といい、仏の働きであり仏性(仏の目に見えない働き)と言います。
(注6)法華経は妙法蓮華経の略語…生命の真理全体を説かれた釈尊の最重要の究極の法門で二十八品からなります。天台智顗は、その法華経を摩訶止観で解釈し、さらに深めました。法華経は、日本では聖徳太子、最澄、日蓮へ継承されてゆきます。
(コラム3)九識の法…唯識生命論(世親作)は、人間の心の働き、煩悩を瞑想によって八識まで発見しました。眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の五識は感覚器官で、私たちの内外世界を受信します。それらを鮮明にし言語化し、情を感じるのが六番目の意識です。潜在識として意識の下に存在する七番目の末那識(マナ識)は思量識(自我執着識)と言います。その下に現世の記憶、膨大な過去世の業(ごう)を貯蔵した八番目の阿頼耶識(あらや識)を発見しました。天台は、阿頼耶識の下に、九番目の識、根本浄識を見出しました。それは釈尊によって、宇宙根源の法であり、無分別法(森羅万象は一法より生じる…宇宙のもろもろの現象は一法…サ・ダルマ・プンダリキャ・ソタラン(漢訳すれば、妙法蓮華経)より生まれ、無始無終であり、永遠に生滅を繰り返す法であると悟達されたものと同じです。
ニコラ・テスラは「存在とは、光の無限の形象の表現です。なぜならエネルギーは存在より古いからです。そしてエネルギーによって、すべての生命は織りなされたのです。これまで存在したあらゆる人間は死ぬことはありませんでした。なぜならエネルギーは永遠だからです。神とはエネルギーのことです。神とは意識を持たない生き、そして産み出し続ける力です。この存在の世界において、あるのは、唯一、一つの状態から別の状態に移ることだけです。これがすべての秘密の回答です」とインタビューで語ったそうです。
〇筆者の生命哲学研究歴… 広島大学総合科学部(一期生)在学中から、哲学、文学、思想、物理天文学、日本人の行動様式論、生と死の宗教(主としてキリスト教と仏教)、心理学、仏法生命哲学を研究してきました。深層心理学と仏法生命哲学研究歴は50年を超え、ここ10年は量子力学、自然科学、身体・脳科学と仏法生命科学(中心は法華経)の関係性を重点的に研究しています。学びの旅は今も続いています。